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ろっくゆー [たからづか]

復活感想をようやく書き始めましたが、しばらくかかりそうなので、違う話題。


先日の先輩RockYouが、まみさんとうこさんラサール石井氏でしたね。


その中で、気になった言葉。

ラサール氏
「宝塚のファンの方たちは、キレイな男が見たいんだよ」
「イケメンの男を集めようとすると、EXILEみたいになっちゃうわけ、ヒゲとか生えてて、胸板厚い感じの」
「ヒゲなんか生えてない、つるっとしたキレイな男がザーッと(大階段を)降りてくるのがいいんだよ」

さすが、ラサール氏。よくわかっていらっしゃる。


まみさん
「(背負い羽根は)オーラだと思ってください」

次からそう説明します。


大東俊介氏
「(宝塚の男役は)アニメーションっていうか、間違いのないかっこよさなんです」

なるほど。
ちなみに大東氏、結構好きなのか、加藤氏にかなり勧めてましたね。


とうこさん
「ヤンキーみたい(笑)」

誰よりも早く加藤氏にツッコミを入れたとうこさんに、関西人の血を感じました。



しかしみつるがちょいちょい映ってましたねー!
映るたびに「みっちゃん!」と叫んだ近所のおばちゃんは私です。(爆)
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あるじぇのおとこ&だんすろまねすく [たからづか]

今日は『アルジェの男/Dance Romanesque』を観て参りました!



芝居は、アルジェのときはわりと好きなんだけど、パリに行くと眠くなるなり。。
ショーはわりと好きかなぁ。
中詰めとかわかりやすくてよい。
かもめ、迫力あったし。どうやってお稽古したのか疑問だけど。



でもま、なんかわかんないけど、
みりおたんとまりもたんだけ見てたら、3時間経ってた!って感じでした(爆)



というかですね、私、以前から大のみりお好きなのですが、
(2007年…くらい?パリ空の時はもう既に好きだった!)
メキメキぐんぐん、竹のごときスピードで大人の男役になっていくみりおたんが、
同い年としても非常に誇らしく見ていたのですが、←ややすみれコード…
ここへ来てみりおさん、成長が止まってしまわれた気がする舞台でしたのです。


まぁここのところ、割と与えられる役が同じ路線ばっかりで、
まさきさんが黒、みりおたんが白、みたいな、
そりゃ成長しようもないわなみたいな感じだったし、

そもそも(ダンス以外は)出来る子で、ビジュアルも大変麗しいので、
三拍子揃ってダメ!みたいな子よりは成長ハードル高めだとは思うのですけどね。

元からのレベルが完成形に近い分、これ以上どうしろと?という雰囲気。
まぁ多分、一番迷っているのは本人だと思うけど。
なんか全然別のもの(もういっそトップにしちゃうとか!)を与えないと、腐っちゃうよ。あれじゃ。


あととりあえず、基礎スタミナ付けて筋トレしないとヨタヨタしてるよ、ダンスが。アンリのお姫様抱っこもだけど。

ヨタヨタ具合と脚上がらない具合が太王四神記の時の玄武のえりこみたいだったよ……ヨロヨロ(((´д`)オヨヨ






まぁそんなこんな言いつつも、みりおたんが好みすぎることには変わりないので、(え)
一般席だったから、拍手も手拍子もガン無視でみりおたんオペラロックオーン!!!してましたけどもね。


楽しかったです。


あとまりもたんのスカートさばきが相変わらずお美しく、
アルジェの踊り子も、
ショーで男役引き連れて踊るとこも、

かっこよかったっす!!←え







そんなことしてる間に、いよいよカナリア初日まであと1週間!

早いね!めっちゃ早いね!





そしてスカステニュースのサイン帳くんだりの感想はぜひ明日書きたいですっ!!←眠いらしい

新人公演、の意味 [たからづか]

一昨日くらいに友人から、


「月新公のチケット浮いちゃったから観て!![もうやだ~(悲しい顔)]


と連絡が来たので、
月組さんはスルーの予定だったのに(え)
観にいくことになりました。





最近は花組ばっかり観ているので、だいぶ花組ナイズされているのでしょうか、
(まあ月組の新公は3年ほぼ欠かさず観てるけど。)



月組さんってほんとまじめね~~~~~~~



がむしゃらに体当たりでやって、
なんだかわかんないまま終わって、
安堵感と感動と反省で大号泣、



みたいな青春の汗臭さとかまったくない。
そつない。全員が。




まあでも、みりおたんやまさおさんが主演だったころは、
結構熱くて面白かった気がしたんだけど。
私が新公慣れしてきたのもあるのかな・・・




でも花組の新公は、たいてい熱さにやられて泣くけどね、どうでもいいところで(笑)




宝塚は、技術だけを観に行くところではない、と私はいつも思っています。
それなら、ほかにもっと上手い人たちがいるから。
(いや、宝塚にもすごい人はいっぱいいるけどさ)


新公なんて、へたくそだろうが、失敗しようが構わないのです。
だから、新公出演者にも、客席で見ているひとたちに、
どーんと体当たりするような気持ちで、たった2回の公演をやりきってほしいな、と思います。


チケットの値段が半額なのは、半額なりの理由があって、
お客さんはわかって観に来ているはずだし。

そりゃ本公演と同じ値段なら、同じクオリティのものをやってもらわなきゃ困るけどね。




目の前で出演者が日々成長していくのを目の当たりにするのが、
宝塚の、特に下級生を応援する面白さ、楽しさのひとつ。

特に新人公演は、それまでの七転八倒の末の輝きが見られれば、
歌が下手だろうが、芝居がダメダメだろうが、ダンスでこけようが、
ぜーんぜんよい。むしろどんとこい。


あ、それと、本公演や本役さんとの解釈の違いを見比べる、というのも面白味のひとつ。
先日の花組新人公演でも、

「なるほどそう来たか~~~」

と思うところがたくさんあったし、
エリックやキャリエールの役作りでも、ぜんぜん視点が違って、
ストーリーや背景そのものが違う意味を含んだりして。

以前の花組某公演なんか、新人公演を見て初めて、役や台詞が理解できたとかもあったな(笑)





まぁ、舞台の良し悪しは、人の感性・好みによるところが多いので、
一概に肯定も否定も出来るものではありませんが、
私は今回の新公は、もう少し、もがいた痕跡が見られてもよかったかな、と思いました。



ジェンヌはみんなやれば出来る子なんだから、ばーんと殻をぶち破ってほしいものですね。



辛口ですんません!!!爆






    
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親子の物語3 [たからづか]

ようやく贔屓組の公演が終わったので、親子の物語3を書き終えたいと思います。(遅っ!!)








私が、親子の物語について書こう、と思った一番のきっかけの、「美しき生涯」。


これは、史実的にはない、と言われているものの、

一種のロマンスとして(道ならぬ恋ってやつですな)描かれる『石田三成と茶々』のラブストーリーが基です。


ここに、宝塚オリジナルである、疾風という忍びも加わり、

半ば四角関係(でも疾風と三成は最後結託するから三角)状態で、進行していきます。



疾風は、忍びという職業(さだめ、かな)への忠義、また茶々の母・お市の方への忠義から、

また、そもそも茶々の家臣であるという観点から、肉体的に茶々を愛することが出来ません。

それに、茶々が三成に惹かれているのもひそかに知っていますから、自分の出るところはどこにもない。


一方の三成は、秀吉への忠義ゆえ、茶々を愛することが出来ないのですが、

疾風からすれば、自分よりは自由に恋愛をし、自由に結婚できる身。

三成は独身なのだし、茶々とやっちゃて出来ちゃった結婚出来る身、なのです。



だから、疾風は三成に、茶々を抱け、と言います。

俺の代わりに、結婚して、茶々殿をともに守るのだ、と。



けれど三成は、秀吉と茶々への忠義を理由に、かたくなにそれを断ります。

ここで疾風はきっと、一瞬、俺がお前なら・・・・と思いつつ、

でもきっとすぐに、思い直したような気もします。

それは、疾風が、三成自身を認めて、人として好きだった、ような気がするからです。



そして結局は、秀吉が茶々を側室として迎えてしまい、

三成(と疾風)は、茶々と結婚することが出来ないのですが、

秀吉の元へ行く茶々と最後の一夜をともにし、その後、茶々の妊娠が発覚。


ここで生まれてくる子供が、鶴松。

宝塚的には、三成と茶々の子。

しかし鶴松は、秀吉と茶々の子ということになっていて、

三成は血はつながっているかもしれないけれど、世間的に父ではありません。


そして鶴松の死後、再び三成と茶々が枕を交わしたときに出来た拾丸もまた、

秀吉と茶々の子供、でした。




このとき、秀吉と茶々という夫婦の背後には、

三成と茶々、そして疾風と茶々という、

カップルがいます。

(もちろん、疾風と茶々は一方的ではありますが)





冒頭のお芝居の中で、拾丸と三成が同じ空間に立つ場面があります。



観劇したときは、茶々と三成の間の微妙な空気感だけを感じていたのですが、

あとからいろいろなことを考えるうちに、

三成が茶々に抱いた複雑な思いや関係を、そのまま肉体に宿しているのが拾丸であり、

その拾丸を見つめる三成は、どんな思いだったのかと思うようになりました。



鶴松も、拾丸も、秀吉の子であるかもしれないけれども、三成にとってはわが子。

しかし今まで私が語ってきた父親たちと同じように、

三成はたぶん、拾丸自身をわが子として愛していたわけではないと思います。

拾丸の中に宿る、茶々を愛していた。




そしてそれ以上に、また、三成とはまた違う思いの中で、

疾風にとっても拾丸はわが子のような思いだったはず。


それと同時に、一度たりとも、そして二度と、永遠にふれることの出来ない、

茶々に対する複雑な思いを、拾丸を見つめながら、抱いていたような気がするのです。



あまりにも切なく、抗いきれない大人の愛が辿った道を、

象徴するものが、子供という存在だった。



恐らく拾丸は、一生その出来事を知ることはないのだろうと思います。



でも、もし、拾丸が青年になるころ、まだ三成や疾風がそばにいたとしたら、

エリックが、キャリエールが本当は自分の父親なのではないか、と思っていたのと同じように、

コモドゥスが、マルクスに対して違和感のようなものをずっと抱き続けたように、

何かを感じたのではないか、と思うのです。




多分、親子って、そういうものなんだろうな。




宝塚は、固定主演制度をいるがゆえに、恋愛物を取りざたされることが多い劇団ですが、

(男の主役とヒロインがいないと、主演2人が目立たないからね)

2011年の前半は、親子の、しかも父と子の物語が多かったのは、

(あ、美しき生涯は違いますけど・・・私の主観。)

なんだか不思議な気がしました。


時代なのかしら。

 

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親子の物語2 [たからづか]

親子の物語1から続き・・・もう少しだけ、ファントムの話。



エリックとキャリエールという親子は、

物語の始まりこそ、 「子供と保護者」という立場ですが、

最終的にお互いが大人の父と子として、ある意味で対等な立場になります。

それは、父と子、という存在であることを、お互いが認めたからなのだ、と思うのです。






さてそんなファントムとは逆の道を辿った、親子の物語もありました。

「灼熱の彼方」、後の皇帝コモドゥスと、その父マルクス皇帝。



この物語は、父がただ父として、自分の息子に愛を向けられなかったとき、

その息子がどのように生きることになったのか、を描いた作品でした。



どんな親子であろうと、本来無償の愛を注いでくれる唯一無二の存在である親からの愛を、

親を目の前にしながら、正しいかたちで受けられなかった子供は、

本当の愛を得るためにどうすればよいのか、を学べないまま大人になるのかもしれない。



そんなテーマの渦の真ん中にいるこの親子にはとても複雑な背景があります。



 


それは、


この先はネタバレになるので追記にて・・・


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